【その3】考えさせられる日本滞在記〜 日本、日本人に異変を察知

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皆さんこんにちは!Thinkers’ チャンネルのThinker(ティンカー)です!桜も満開でまだまだ涼しく過ごしやすい日本なのではないでしょうか?日本と行ったら、和食、温泉、親切な人々ですよね!私はそう思っています。昨今は、日本人の人口減少、超過死亡などが囁かれていますね。一体どのような変化が私の目に映ったのか。私観的ではございますが、インスピレーションになれば幸いです ( ´Д`)y━・~~

前回までのあらすじ

その1、滞在3泊目までに起きた事:

・横浜でランチでびっくり
-アクリル板隔離
-入店前手指消毒
・踊り子号ブチギレられ事件
-無言でスーツケースを椅子で連続強打
・湯河原の蕎麦屋で起きた事件
-すすれない十割蕎麦
-ジロジロ目線の圧力
-山の麓で証明消される

▷とんでもない日本滞在その1〜 in 横浜・湯河原


その2、在10泊目までに起きた事:武蔵小杉でマスク差別疑惑満員電車でため息
-静寂な車内
-集団圧力的ピリピリ感
・どこ行ってもイチゴ推しの闇?
-イチゴ飴 in 元町中華街
-ストロベリーシャンパン in 中目黒
-農薬基準値越えでイチゴを大量破棄 in 台湾
-海外では禁止されているのに、日本では問題にならない違和感

▷【変わり果てた日本】日本滞在記 〜 マスクとイチゴの狭間で

日本を離れて丸三年

過去に日本を離れ、数年ぶりに帰国したことは何度もありました。今回ほど気になる出来事を経験したことはないと思います。

今回も記録のため、今回も体験した出来事を綴っていきたいと思います。

感じた日本人の異変 出会った人々

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日本。それは尊い国。私が愛する国。民度が高く、勤勉で、責任感があり、物、人、細かなことを大切にする素晴らしい人々。3年前までは、私が育ってきた日本はそのように見えていました。今でも『そうであり続けますようにと祈っています。

湯河原で宿泊させていただいた、【雅竹Miyabitake】は私がお気に入りの宿。オーナーさんは日本のおもてなしの心を持っていて、とても親切で勤勉な方です。

今回の一時帰国では、珍事件が多発

『その1』でお話しさせていただいた珍事は、

踊り子号ブチギレられ事件』、『湯河原の蕎麦屋で起きた事件』。

その2でお話しさせていただいたのは、『マスク差別疑惑』や『満員電車でため息』。ドキッとするような出来事が多くあったように思います。

サービスの異変

今回、一時滞在をしていた身なので、サービスをしていただく立場がほとんどでした。日本のホテルなどのサービスは素晴らしいと思います。訓練が行き届いていますし、働く方々の自覚と、サービス精神は素晴らしいと思います。

しかし、まずらしくも今回日本滞在では、違和感がある場面が結構ありました。もちろん、場所によってサービスの間隔はさまざまだとは思います。しかし、今までなかったような異様な体験の一つをご紹介します。

接客を受けているお客さんの側で、「疲れた」というスタッフ

その2で『湯河原の蕎麦屋で起きた事件』を参照していただきたいです。この体験をして、ちょっといつもと違かな?と感じました。お蕎麦屋さんでの出来事は、仕事とプライベートの区切りがとても曖昧。

出来事

お客さんがお食事をしているテーブルの側で、フロアがおしゃべりをしていました。会話をする事は別に悪事ではありません。しかし、その内容が非常に気まずかったです。

会話の内容:

肩こりがやばい

肩が痛い

最近疲れがやばい

などを話していたのです。聞こえている私たちは、謎に申し訳なくなる気持ちと気まずい気持ちになりました。その空間で、お蕎麦を食べていました。

他のフタッフは何も言わない

お店はお料理風景が丸見えのオープンキッチン。そこにいたキッチンスタッフは、おそらくオーナーと奥さん。彼らにも聞こえていたはずですが、誰も注意も何も言いませんでした。ずっとそう言った会話をしていました。私の心の中では居心地の悪い雰囲気を感じでいました。

その2の『湯河原の蕎麦屋で起きた事件』を読んでいただきたいですが、このお蕎麦屋さんでは、その他にも突然さ消灯れるという悲しくなる出来事が勃発。電気代がもったいなかったからでしょうか

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繰り返しますが、私が出会った数少ない出来事の一つに過ぎません。日本全体がそうだったと言っているわけではありません。

私が悲しい気持ちなので、日本滞在記を読んでいただいている方中には、嫌な気持ちになってしまっているかもしれません。これはあくまでも私が体験した小さな出来事の終結を綴っているだけです。個人を批判しているものではありませんし、日本全体がこうだ!と言っている訳ではないので、そこは頭の片隅に留めながら読んでいただければ幸いです。

決まりは決まり『従順な人々』は考えない人?

日本に違和感があると感じます。おそらく、パンデミック以来、感染の恐怖などで、ピリピリしてきた結果、『人々の従順さ』が著しく見えるようになったのかもしれません。しかし、考える機会を奪ってしまったとも言えると思います。

入店前の手指消毒の謎

基本的に今回の滞在時もですが、私はマスクをしていませんでした。今回の滞在で、訪れた店舗に入店を断られたことはありませんでした。しかし、手指消毒を求められることが多かったです。特に日本の商業施設のレストランなどでは、普通のことなのかもしれません(少なくとも私が滞在した首都圏、神奈川など)。しかし、意味ないですよね?これを読んでいて手指消毒に意味があると思っている方はどれくらいいるでしょうか?

手指消毒は意味がない

想像してください。

外科医が手術室に入る前には、

ブラシで洗浄剤、消毒液で指の先、爪、肘上まで洗います。ドラマでよく見ますよね?

そして、既に手術室にいるフタッフに医療用ゴム手袋、マスクを装着してもらいます。自分の素手ではしませんよね。

しかし、レストランに入る前、手指消毒をした後、あなたは何をしますか?

席につきますよね?

自分の素手で椅子に触り、テーブルに手を置き、携帯を触り、メニューを触り、バッグを触り、次の瞬間、つけていたマスクを触りますね?

マスクが色々な菌や埃、ウイルス、PM2.5、花粉を防いでくれているなら、それらがマスクに付着しているでしょう。そして、自分の唾もべっとりついています。

そんなマスクをテーブルに置いたり、バッグに入れたり、腕につけておく。

その時点で、手指消毒の意味はあるのでしょうか?

しかし、残念なことに多くの日本人はそれをやめず、”常識”として、盲目にやり続けているのです。

異常に信仰されたマスク着用行動こそ、エピデミックではないか

2023年3月13日から、『マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本となりました。本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう、ご配慮をお願いします。と厚生労働省が発表をしました。

しかし、皆さんがご存知のように、今回の日本滞在期間3月17日から28日の12日間ほとんどの方がマスクをしていました。

医療目的のためのマスクなのか

しかしながら、これも手指消毒と同じです。マスクを着用することは医療目的を果たしているのでしょうか? もちろん、飛沫を防ぐという意味では意味をなすことでしょう。手術をするときに外科医がマスクをして、患者がしないのと同じですね。ウイルスを持っている人が、くしゃみや咳をする時に、飛沫を飛ばす。それを防ぐ為にマスクをしてくださいということですよね。しかし、マスク着用は私たちの生活の上で、欠かせないほどの医療行為なのでしょうか?どこに行ってもマスクをする事は、多くの人に有益で、命が助かっている行為なのでしょうか?

実は感染を防げていないマスク

もう一度想像しましょう。

現在の世界の状況を考えましょう。私たちの日常生活で、ずっとマスクをしなければならない状態でしょうか?

日本の現状として、パンデミック以来、コロナでなくなる死亡率は0.3%(2023年4月10日現在)という数字です。

なのにもかかわらず、未だに健康な人、子供までもがマスクをしないといけない社会の風潮になっています。

コロナが騒がれ始めて、3年以上も経ちます。海外の多くの国々では、もう日常的にマスクはつけていません。

私が言いたいのは、マスクをするということは2020年以前通りの範囲、レベルで十分だと思うのです。国民の90%くらいの人口がマスクを毎日するということが異常事態なエピデミックな事態では

マスクをしない時

今回の滞在で、日本はマスク着用人口が異常に多いことに気づきました。しかし、もう一つ不可解な点がありました。それは、マスクを外している時のを考えることです。マスク着用は自由なのです。しかし、着用が医療目的ではないだろうと思わせる点が何点もあります。

それは、以下の時:

・レストラン、カフェでの飲食時

・温泉入浴時

・プール利用時

・海外滞在時

・マスクフリーゾーン時

・テレビ出演時

上記の場面は、とても滑稽です。その理由は下記にあります。

マスクをしない時の例

例えば、

ご飯を食べている時は、普通にお友達と面と向かって、マスクなしでお食事をします。マスクなしでお話をします。お手洗いに行ってきますといって、テーブルの上においてあるマスクをまたかける。

温泉に入っている時はマスクなしで、普通にできる

プールで泳いでいる時も、マスクをしないで、普通にしている

海外に行き、ワールドカップ観戦や、観光をする時、または外交時、マスクをしないが、日本に戻るとマスクを着用する』

遊園地などに行った時、マスクフリーゾーン”があれば、そこでマスクを外す

テレビの出演者はマスクをしない同じ空間でおしゃべりをしている(室内の場合アクリル版あり)

どう思いますか?

外している時は、コロナに感染する可能性を覚悟して、命懸けで過ごしていますか?こうした行為をした後に、おじいさん、おばあさんや免疫力の少ない方々と絶対会わないようにしていますか?絶対無理ですよね?それでも、マスクをしている時間が長い日本人でも、新規感染者数ぶっちぎりの1位です(2023年4月10日付)

コロナ新規感染者数世界第一位は日本
https://www.worldometers.info/coronavirus/#countries

嫌味をたくさん言ってしまっているように聞こえるかもしれませんが、現実とはこういうことなのではないでしょうか?冷静に考えることが一人一人の責任だと思います。

マスク着用をして成長する子供たち

子供たちは五感を通して、さまざまなことを学んでいきますが、表情を見て多くを学ぶことは確かですよね。マスクによる弊害の話たくさん聞きます。マスクをしている時の顔は、目しか見ることができません。

精神、心への影響

しかし、お家以外の外出時などは親の顔、先生の顔を全部見る機会が減っています。学生時代を振り返った時に、先生の顔を思い出したり、ましてや自分の同級生やお友達の顔などを思い出したりすることは私たちの時代のようにはできないのではないでしょうか?

顔をフルで見ないで育つということになりますが、その場合、どのような精神で、どのような大人に育つのでしょうか?表情などの読み取りができない場合、人間関係などを気づくことがより困難になってしまわないでしょうか?子供の成長期間は取り戻せませんので、そのような心への影響の可能性を議論すべきだと思います。

体への影響

心だけではなく、マスク着用の体への影響も考えなくてはなりません。マスクをしていると多かれ少なかれ、「苦しい」と思ったことはあると思います。自分の吐く息を交えながら、それを吸って過ごしているので、マスクをしていない人よりも酸素が少ない環境で成長しています。こどもは成長段階なので、そうした環境で脳みそが成長していき、その脳みそからホルモンや情報が伝達され、体が成長しますよね。マスクの弊害などの記事はたくさんありますが、主に海外からの情報になります。なぜ日本はカウンター議論をさせないような風潮にあるのでしょうか。

ルールを守ることが “正しい”正義なのか

日本滞在記その2で、『マスク差別疑惑』、『満員電車でため息』を経験しましたが、日本はピリピリしていました。どこに行っても、人間が、波動が、雰囲気が、バイブスがピリピリしているのを感じました。おそらく、これは日本にお住まいの方も感じている方は多いと思います。それを「当たり前」「コロナを経験しているんだから仕方がない」「世の中変わったんだからしょうがない」と思って過ごされている方もいらっしゃると思います。しかし、立ち止まり、考えていただきたいです。

日本人の民度

日本には、『ルールを守る人が素晴らしい』、逆に『ルールを守らない人は最低だ』という物差しが存在する気がします。日本人は民度が高いと思いますが、それは紙一重でもある気がします。戦争をしていた時のように、国のトップを崇拝し、そのために自らの命を落とせるという精神はすさまじいものがありましたね。

貧富の差

ルールを従順に守れる理由として、日本は貧富の差が他国と比べてさほどないことに理由があると思います。私が住んできた国、アメリカ、カナダ、UAE、タイでは日本よりもかなり貧富の差はあります。UAEに関しては、エメラティは裕福ですが、逆に外国から労働に来られる方々はエメラティよりもずっと貧しいです。日本の話に戻りますが、貧富の差があまりないことで、同じようなルールが国中を通して守ることを可能にしていると思います。受ける教育も、義務教育であればさほど差はなく、学力の差というだけでで、ほぼ皆んな読み書きができますよね。

ルールという、メンタルブロック

日本でいう常識は海外では常識ではないこともありますし、日本のルールは海外では通用しないこともしばしばあります。日本を出て、海外に初めて居住した時に、不思議と自由を感じたことを今でも覚えています。そう、日本では常識なルールは、知らず知らずにあなたを束縛していることがあるのです。

必要なのは、考えること。考える力です。立ち止まり、疑う勇気、考える勇気、そしてそのルールというボックスから脱出する勇気が必要です。『日本人は民度が高いと思いますが、それは紙一重』という視点が言いたいことは、ルールに囚われすぎて、考えることを忘れ、我を失ってしまうことがある危うさがあるということです。知らずに、ルールというメンタルブロックがかかっていることがあるので、『みんながやっているから疑問に思わず、やっている。』『お偉いさんがテレビで言ってたから、そのルールに従う』ではなく、良い意味で疑うこと、立ち止まり、考えることがとても大事だということを忘れないでほしいです。

まとめ

今回は旅行記というよりも、3年ぶりに出会った人々から受けた印象や、日本の社会から受けた印象を綴らせていただきました。日本人がとても寂しく感じました。もちろん、温かい人もいますが、日本の生きゆく人々の波動が、とてもピリピリしているように感じました。とても私観的でございます。是非とも、あなたも現在の日本を観察してみてください。そして、違和感があった場合、その感覚を立ち止まり理解しようと考えてみてください。自分軸とは何かを考えてみてください。

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